讃岐の伝統の味、あん餅雑煮・いりこ飯がこれ一本で簡単にどなたにでも

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伊吹島ってどんなとこ?

織田信長に滅ぼされた武将の子孫が住むイリコの島 住民の半分が三好姓。
四国本土の観音寺より10キロ米西に離れ、周囲は5.4キロという燧灘に浮かぶ小さな島、この島は近海がカタクチイワシの好漁場となっていて品質、味は日本一と言われるいりこ(煮干しイワシ)の生産地です。
昭和30年頃には5000人弱もの人が住んでいましたが現在は約600人と過疎化が進んでいます。島の住民の半分は三好姓、彼らは戦国時代末期に織田信長に滅ぼされた近畿で覇を唱えた阿波出身の三好義継の末裔達。
三好氏は甲斐源氏小笠原長清を始祖とし鎌倉、室町、戦国時代を通じ絶頂期には阿波、讃岐、淡路をはじめ今の大阪府と奈良、兵庫県南東部、京都南部まで勢力を拡大しました。
永禄11年(1568年)織田信長の京都入洛により一驚に衰退し、家督を継いでいた三好義継はその後将軍足利義昭に加担したため自害させられました。その弟義茂が(今の観音寺市豊浜町)の大平伊賀守国祐をたより伊吹島に逃れました。しかし彼らにとっては島の生活は平穏ではなかったようです。伊吹島には先住民の合田一族が住んでおり両者の間で争いが生じ1588年には合戦になりました。そしてその合戦後、合田一族は島の東部に三好一族は西部にそれぞれ住み分け、両者は互いに婚姻はしないという静かな対立を続けて暮らしました。
今島を訪れるとその名残として入り組んだ迷路のような道が数多く残っています。また外部との交流があまりなかったのでしょうか、この島には日本で唯一平安、鎌倉時代の京言葉が数多く伊吹弁として残っています。

伊吹いりこ漁の歴史

今から約150年前からいりこ漁がスタートしました。
1862年
/ 三好喜八がいりこ製造を開始。明治20年までに10軒が総業、この系譜が現在の大網に繋がる
大正初期
/ 有力経営者が縛網にて朝鮮東岸に出向き、昭和初期には機船巾着網漁業により朝鮮海域を舞台に活躍
昭和29年
/ 燧灘の巾着網の改良版パッチ網に転換開始
昭和37年
/ 組合共販開始、魚群探知機の使用開始
昭和38年
/ 巾着網全面廃止、すべてパッチ網に転換
昭和48年
/ 県漁連との共販開始
昭和51年
/ 製氷施設の設置始まる
昭和58年
/ 経営安定、資源保護、漁業秩序確立のため香川、愛媛瀬戸内パッチ網協議
昭和60年
/ サイズ選別機の導入と品質向上の基準確立
昭和63年
/ 過去最高の取り扱いとなる。1漁協が九州全体の取り扱いを上回る。この頃より自動釜の導入スタート
平成5年
/ この頃より不漁となり愛媛、広島県と共に資源管理型漁業の推進事業がスタートする。
平成21年
/ 「伊吹いりこ」の地域団体商標登録に向けて活動開始
平成23年
/ 経済産業省 特許庁 地域団体商標「伊吹いりこ」登録。商標登録 第5441187号
讃岐うどんにはかかせない「伊吹いりこ」はこうして何代もの人に育まれ日本一のブランドに育ってきたのです。
今年平成27年で153才です。

「いりこ飯」は伝えなくてはいけない讃岐の郷土料理

どこで生まれどこで伝承されたのか

いつ頃から食べられたかは定かてはありませんが、伊吹島を中心に西讃、東讃を問わず
瀬戸内海沿岸を中心にほぼ全域で食べられているようです。特に伊吹島では島の常食としての地位は不動。
いりこは讃岐の庶民にとっては身近な商材として昔から浸透し、いりこを入れた炊き込みご飯は出汁が良く出てさっぱりとした味わいが特徴です また山間部では冷蔵機能が発達していない時代に、海の香りを味わうにはもってこいの料理だったようです。
いりこ飯レシピ

よりおいしく食べていただくために

また「いりこ飯」に入れる野菜はその時期に一番おいしい物。椎茸、きのこ、筍、ごぼうなどを入れるとまったくちがった風味でたのしめます。
讃岐の素「いりこ飯の素」はその伊吹いりこの旨みを余すところなく抽出し、椎茸、鰹、昆布でその旨みをコーティング。昔のいりこ飯の旨さの数倍上の味の深みを味わえます。
それも炊き込み時に1合の米に50cc入れるだけで。だしの旨みを是非お伝えください。

一口メモ

※案外インスタントの炊き込みご飯の素を使うのは別にしてご家庭で出汁を取ったり、味醂や酒、醤油で味を調えるのは慣れている方には何でもないことでもやりなれてない方には面倒なものです。「いりこ飯の素」はこれ一本で昔懐かしの家庭の味が再現できます。
いりこ飯セット